愛 燦燦と
最近見た夢って覚えている?
そういう聞き方から始まるのは、大概面白い話が始まる前触れだろう。
いやあ、見たりしてるはずですけれど、目を開けた瞬間から忘れていきますね。
バーで同席したこの町の常連さんやママさんも、しきりにうなずく。
そうよねえ。あたし、たびたび同じ夢をみたりするのよね。
いよいよ始まる。繰り返し見る夢を僕は見たことがない。
でも春が近くなるたびに、カモメが空を飛んで水平線をなぞっていく先の古城にたたずむ、自分らしき老人と知らないご婦人という、洋物のシーツのような旧いコマーシャルに出てきそうな風景が、時折ザッピングするように脳裏をかすめることがある。最果ての憧れみたいなものだろうと、起き上がって思い出そうと試みるたびに、想像力の平板さに行き着いてしまう。新婚旅行の夢はヨーロッパみたいな。
目を開けると、あたしの周りにウンコがいっぱいの壺が並んでいて。やだ、なにこれって思った瞬間、噴水のようにあたり一面に吹き出して。あの扇子の先から広がる水芸のようにね。なんならあちこちで虹まで生まれちゃって。やだあ、なんなのよってウンコまみれで目が覚めるのよ。
この町のドラアグクイーンとして一世も二世も風靡してきた姐さんは、赤ら顔の素顔できゃっきゃっと笑う。これって、夢占いによると、いまあなたは愛に溢れているんだって、あらやだあ。
目の前にきらびやかなドレスを着た姐さんの両手から、金色のウンコが間欠泉のように噴き上がっているのが目に浮かんだ。昔、観たらカッコイイんじゃないかって流し見したカルト映画に、ウンコを黄金に変える錬金術師のシーンが思い出された。なにしろこの鉄板な話を、夢を見るたびにキラキラした面白おかしい話に変えれることが羨ましく思えた。
でもね、ここ数年見てないのよ。ちょうどコロナが始まったぐらいかしら。一転、寂しそうな横顔に視線はひきずられた。ひとはいつまで夢を見るのだろう。どうしてすぐに忘れたりするのだろう。
愛にあふれたウンコか、ウンコにあふれた愛なのか、答えは寝ても覚めてもいっこうに見えてはこない。